私が開院した理由

私が開院し、現在に至るまでの経緯です。

お時間のある方は読んでみてください。

整骨院との出会い

近所に整骨院がなかったため、小さいころからケガといえば
病院(整形外科)しか選択肢にありませんでした。

サッカーで膝の半月板を痛めてしまったときも、
バイクの事故で救急車で運ばれたときも整形外科でした。

当時は整骨院ってどんなところか考えたこともありませんでした。

社会人になり、休日にサッカーを楽しんでいたその時、
相手のスライディングタックルでバランスを崩し着地に失敗・・

足首からブチッと聞いたことのない音がして、変な汗がダラダラ出てきました。
しかもこんなに痛いの初めてです。

しかも適当に応急処置し、ビッコ引いたままお酒を飲みに行ってしまいました。
妻と交際し始めたばかりの頃で、サッカーの後にデートの約束があり、
まともに歩けないのに頑張っちゃったんですね、嫌われたくなくて…

そして次の日朝・・・

これは自分の足か??っというぐらい腫れてました。
おおげさじゃなく象の足みたいになってました。

いや、象は言い過ぎかな? 子象くらい、いや…元々の1.5倍くらい?
まあその辺はどうでもいいですね。

さすがに焦りました。
しかも激痛です。

当時はサラリーマンで独身寮に住んでいたのですが、
管理人のおじさんが常駐していたので、匍匐前進で助けを求めに行ったところ、
「いいところがあるよ!」と車であるところに連れて行ってくれました。

そこが人生初の整骨院でした。

衝撃を受ける

整骨院には貫禄のある院長先生と、弟子の若い先生がいました。

最初は院長先生に診ていただいたのですが、
ただの捻挫、いつもの捻挫、すぐ治るはず、と軽く考えようと必死でしたが、
診断は足首の靭帯断裂でした。

そして、一通り検査した後に先生が施術したのはなぜか背骨でした。

すると足首の腫れがみるみる引いて行くではないですか!!

なんじゃこりゃ!?ってビックリしました。

そしてテーピングを巻いてもらい、恐る恐る足をついてみると、
びっこひきながらではありますが、なんと歩けるではないですか!!

朝起きてからの自分の足にも衝撃を受けましたが、
整骨院での処置にも衝撃を受けました。

もちろんまたサッカーが出来るようになるまでは数ヶ月かかりましたが、
とにかく感動したのを覚えています。

転機

この一件以来、ケガといえばファーストチョイスは整骨院になりました。

そして、足首のケガから約1年後、今後の私の人生を決定付けることが起こります。

それは交通事故でした。

先輩の車の助手席に乗っていた際、渋滞で停車した直後に、
ドカン!っと後ろから突き上げるような衝撃が走りました。
(人生初のむち打ち)

その時は驚きと、首都高で通り過ぎる車からジロジロ見られる恥ずかしさで、
さほど痛みは気にならなかったのですが、地獄は後からやってきました。

デスクワークをしていて、夕方になってくると
首がだるくて頭を支えるのが辛くなってくるのです。

ほお杖をついて頭を支えないと仕事が出来なってしまいました。

事故がおきてすぐに病院で検査したときには出なかった痛みです。
手元には湿布と痛み止めしかありません。
しかも効果はあまり感じられませんでした・・・

保険会社さんに「お世話になってる整骨院に行きたいですけど」と
お願いし、予約をしてすぐに行きました。

じっくり状況を体の問題になっている部分をチェックして、
どういう力が働いてこうなってしまったのかを説明してくれて、
「大丈夫、しっかり治すから」の一言にまた感動。

すぐに痛みはなくなったのですが、仕事の負担が増えるとまた痛みがぶり返すので、
それからは 会社⇒整骨院⇒会社 の毎日でした。

完全復帰するまでには数ヶ月かかりました。

その通院する毎日の中で、待合室で出会う笑顔の患者さんたちを見ていて、
「痛くてきてるのにみんな笑顔になるなんて不思議だな〜」
「手で人を治せるなんて凄いな、ゴットハンドみたいでかっこいいな」
という気持ちが芽生え始めました。

バックボーン

私は幼少の頃から、足が不自由な祖母と一緒に暮らしていました。

将来は介護の仕事か医療の仕事もいいなとか、
父のようなエンジニアも機会が修理できるのカッコいいなとか、
将来について考えていました。

結局、工業高校⇒工業大学⇒建設業 とまっしぐらにエンジニアの道を
選んできたのですが、心の深いところで眠っていた医療の道への夢が、
足首のケガと交通事故のむち打ちにより目覚めてしまったのです。

脱サラ

気になり出したらとことん気になって眠れなくなり、
思い切って整骨院の先生に「この仕事がしたいです!」と伝えてみました。

返事は「ダメ!そんなに甘くない!めちゃくちゃ厳しい世界!」と
即効でNGを出されました。

しかも私のことを心配してくれた家族や友人は全員大反対・・・

でも厳しいからって失敗するとも限らない、
やらないよりはやって後悔するほうがまだまし、
もう気持ちは抑えられなくなってしまいました。

周りの反対を押し切って脱サラを決心し、
辞表を出し続けて延べ5通、1年越しでやっと退職することができました。
(前職が嫌いだったわけではありません。まあ残業時間はブラックでしたが)

幸いなことに、社会人入試ということで国語とか数学とか難しい試験を受けずに
専門学校に入学できたので本当にありがたかったです。

ただ、そこから修行の日々が3年間続きます。

国家資格を取得するために日中は鍼灸整骨院で修行、夜は学校で勉強(夜間部)、
家に帰ってまた勉強、休日は病院や整骨院を見学にと、今振り返ると驚きの
ストイックな毎日でした。

しかも月の給料は5万円だったので、貯金を切り崩す生活・・・
友達に飲みに誘われても断らざるを得ない厳しい生活でした。

遊びに行くお金もないのでひたすら勉強し、無事国家試験をクリアし
卒業することができました。

たくさん見学に行っていたので、ありがたいことに就職活動をしなくても、
たくさんのオファーを頂くことが出来ました。

開業を決意

鍼灸整骨院での修行後、整形外科からお声がかかり、リハビリスタッフとして勤務しながら
手術に立ち会ったり、レントゲン、MRIなどの勉強をさせていただきました。

その後以前お世話になった先生の分院を任せてもらう話がきたので、
地下鉄麻生駅の近くで分院長として勤務。

とにかくたくさんの経験と勉強をさせていただきました。
ただ、忙しい毎日の中、理想の治療家、理想の治療院を考えたときに、
どんどん押し寄せてくる患者さんをバタバタと治療していくのではなく、
もっと一人一人とじっくりと向き合える整骨院を作りたいという思いが強くなり、
とうとう独立する決心をしました。

そして平成20年5月、たくさんの方々に支えられながら開業することができました。

変わらぬ想い

開業後はどうやったらもっと早く治せるか、どうやったら再発を防げるか、
どうやったらセルフケアを継続してもらえるかなど、試行錯誤の繰返しでした。

今までは施術は全て自分でやる「一人治療家」でずっと行こうと考えていたのですが、
セミナー講師などをしていて、徐々に自分の院でも育てることで、より患者さんのために
なるのではという考えが芽生えて、10年経ってやっと施術スタッフを増員しました。

これからも試行錯誤と工夫、勉強を積み重ね、日々進化して行きます。
むしろ以前よりも効率よく勉強したり、自分への投資のために時間を作ることも
できるようになってきたので、さらに成長できると信じています。

この業界を志した頃と熱意は変わっていません。
むしろさらに熱くなっています。

あなたの今抱えている不安を、取り除いて明るい気持ちになれるよう、
全力でサポートさせていただきますね。

それでは
長文乱文にもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございます。
この想いが伝わって、あなたの健康に役立てるなら幸いです。